聖地へ
2002年8月某日、私は神戸に来ていた。先年の暮れに亡くなった朝比奈隆先生の追悼コンサートに行くためだ。
朝比奈先生や作家の筒井康隆が居住していたということで、神戸はいわば聖地といえた。
私が朝比奈先生の逝去を知ったのはたまたま偶然だった。その頃働いていた会社の寮で読んだ新聞で追悼コンサートのことを知ったのである。
実に先生が亡くなってから、半年以上も経っていた。その瞬間、生前先生のコンサートに一回も行けずじまいだったことを深く悔いた。
朝比奈先生には、新聞のインタビュー記事でのある一言に勇気づけられた。先生は若い頃、音大を出ていないということで周りから指揮者としては失格と馬鹿にされたそうだ。
しかし普通の大学を卒業した後、阪急電鉄に就職しそれでもクラシック音楽への情熱が止み難く改めて勉強したという。
そういう回り道が長い目で見て、プラスになったと述懐なさっていた。
自分も小説家になりたいという夢を捨て切れず、東京の日本ジャーナリスト専門学校に入学したクチなので共感できる部分が多かった。
なにより卒業後、不本意な引っ越しを余儀なくされ休日にはクラシックをひたすら自宅で聴く日々を過ごしていた。
そんな中、東京のサントリーホールで演奏された先生のブル8ライヴCDを聴いてどれだけ気持ちを慰められたか知れない。
いつかは、この人の演奏会に行ってみたい。結局、叶わぬ夢となってしまったが。
だからこそ追悼コンサートにだけは行こうと決心した。夜行列車に乗って神戸へ行き、会場へと赴いた。
先生が若い頃改変したという、ある作曲家の作品が弾かれたり朝比奈先生と親交のあった外山雄三などがエピソードを披露したりと、演奏会というより座談会みたいな感じであった。
最後に故人を追悼するために流されたベートーヴェン交響曲第7番第4楽章が、先生の哄笑のように響いた。
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