そして伝説へ
1954年11月30日に、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが静養先のスイスのバーデンバーデンで息を引き取った。
死因は肺炎で、まだ68歳という働き盛りでの逝去だった。
欧州全体で哀悼の意を伝えられ、誰が次のベルリン・フィルの首席指揮者になるかが注目された。
選ばれたのは、ヘルベルト・フォン・カラヤンだった。それも本人希望の、終世指揮者というおまけつきで。
なぜチェリビダッケではなく、カラヤンが後継者に選ばれたのか?一説がある。
フルトヴェングラーの葬儀の際、チェリビダッケが不用意な発言をしたのが決定打となったとされる。
「彼はいい時期に死んだ。何故なら、フルトヴェングラーの耳はもう聴こえなくなっていたのだから」
フルトヴェングラーは晩年難聴に悩まされ、自らのキャリアを断たれる事態に追い込まれた。
そのためフルトヴェングラーの死は自殺と主張した一部の関係者がいたくらいだ。
いずれにしろ、フルトヴェングラーの生前のアクシデントに触れることは公然のタブーであっただろう。ましてや葬儀の席で触れるのは御法度ではなかったか。
ただし疑問は残る。いくらなんでも、チェリビダッケはその禁句を口にしたのか、と。
あるいはチェリビダッケを追い落とすために、カラヤン派の楽員が流したデマの可能性もある。
ただし、真実か否かにしてもチェリビダッケにはどうでも良かっただろう。
彼にとってキャリアを築く場所は、ベルリン・フィルでなくても構わなかったのだろう。
事実彼は、さまざまなオーケストラを渡り歩き最終的にはミュンヘン・フィルでその生涯を終えた。
生前、CDなどの録音販売を頑なに拒否していたこの幻の指揮者は、演奏会のみで聴けるという戦略でカラヤンとは別の形で伝説となった。
没後、海賊版CDによって彼の芸術を歪曲されると恐れた遺族によってライヴ録音が発売された。
彼にとっては本意であっただろうか。
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