クラシック界のニ・八
ベートーヴェンの交響曲は、渋面をしながら聴かなければいけない。もしも未だにそんな固定概念に凝り固まって聴いてない人がいたとしたらもったいない!
何から聴いたらと迷っている人には、まず第ニ番をお勧めする。これはかの有名なハイリゲンシュタットの遺書を書いた後に作曲されたものだ。
ここには難聴になったことに悲観して、死まで考えたベートーヴェンの絶望感など微塵も感じられない。
あるのはこの先何があっても明るく前向きに生きようとする、彼の決意表明さえ感じられる。
恐らくこれを作曲しなかったなら、第三番「英雄」という傑作は生み出し得なかっただろう。
そういった意味でも、この第ニ番は重要な作品でありベートーヴェンの微笑みすら彷彿とさせる快活なものだ。
ベートーヴェンを原点とする私にとっても、時々勇気を分けてもらう交響曲である。
次に第八番。後にワーグナーに"舞踏の聖化"と称えられた第七番と共に発表された。
生前は決して評判の良くなかったこの第八が、第ニと同じくらい大好きである。
ベートーヴェンの交響曲というと、誰もが「英雄」、第五番、第九を推す中、このニ・八を聴かなければ真のベートーヴェン愛好家といえないと、私は提言したい。
第ニの頃と比べると、さすがにベートーヴェンも老獪というか手慣れてきている。
序奏部のあたりがうまく出ないと、その後がなんかしっくりこない。その意味では、運命の動機で有名な第五番によく似ている。
だからこそ音がうまく揃った時の高揚感は、たとえようもないほど素晴らしい。
ここではベートーヴェンは人生を深刻にでなく、豪快に笑い飛ばしているようにさえ聴こえる。
ここから第九誕生までは十年以上を要す。その意味では、彼は交響曲という分野ではやるべきことをやり尽くしたと思ったのかもしれない。
その上で第九が生まれたのだから、これが非凡というのだろう。
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