クラシック音楽あれこれ

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「革命」は革命に非ず?:前編

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ交響曲第五番。我が国では「革命」の副題が(他は、中国・韓国)つけられている名曲である。

多少マニアックともいえるショスタコーヴィチという作曲家を語る上で、まず筆頭に挙げられるのがこの第五番だ。

ショスタコーヴィチを評価するにしろ、批判するにしろ、この曲をどう解釈するかで試金石とされてしまう気の毒な作品ともいえる。

当初は体制迎合の作品とみなされた。1938年ロシア革命成立20周年の年に初演された第五番は、ショスタコーヴィチの名誉回復も懸かっていた。

何故かというと、彼は自作のオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」がプラウダ紙上で激しく批判されたのだ。

当時のソビエト連邦の国営新聞プラウダで批判されるということは、体制側に睨まれることを指す。

ちなみに当時のソ連の最高権力者は、ヒトラー毛沢東と共に20世紀三大独裁者の一人に挙げていい悪名高きスターリン

彼は自分の気に入らない人間は、誰彼構わず逮捕させ良くて強制収容所送り、運が悪ければ処刑場へ直行させてしまっていた。

そんな独裁者に睨まれたショスタコーヴィチは、心底震え上がっただろう。

事実彼の同僚、友人の中にもスターリンの機嫌を損ねて逮捕・処刑されていった者たちがいた。

西欧からは「モーツァルトの再来」とまで絶賛された彼だが、ソ連当局においては気に入らなければいつ屠られるかわからない哀れな子羊に過ぎなかった。

初演を取り止めた交響曲第四番をしまい込むと、早速筆に取りかかったのが第五番であった。

前衛的な第四番から、一転していわゆる社会主義リアリズムに忠実なという触れ込みで作曲された第五番。

初演はスタンディングオベーションとなるほどの大成功だった。当局も大満足で、彼は命拾いした。

反面、ソ連という当時唯一の社会主義国家を快く思わない西側諸国からは、彼は当局に魂を売ったと批判された。

それが覆されたのは、スターリンショスタコーヴィチも他界していた1980年にアメリカ経由で出版された『ショスタコーヴィチの証言』であった。

この中で、彼はソ連の体制を批判すると共に代表曲である第五番を、

「あの第四楽章は(当局に)、強制された歓喜に過ぎない」

とバッサリ斬り捨てている。一転して、ショスタコ(彼のファンは、愛着を込めてこう呼ぶらしい)は時代に翻弄された悲劇の作曲家として位置づけられた。

ところが話はここで綺麗に終わらない。後に未亡人が『〜証言』を名指しで批判。

インタビューしたとされる頃、ショスタコは病気療養中でそんなインタビュアーの存在など見たことも聞いたこともないと言い出したのである。

一転して偽書扱いされた『〜証言』だが、早とちりした専門家の中には(特に我が国において)やはり奴は体制と寝た作曲家と再批判した。忙しいことである。

※今回よりこのブログを、800文字前後から1200文字前後に増やしました。

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