「革命」は革命に非ず?:後編
体制派か反体制派か。ショスタコーヴィチの交響曲第五番について語る時、必ずどちらで見るかで評価が分かれる。
ショスタコ自身が、後年共産党員になったことを考えると、アンチにとっては体制迎合の作曲家として批判したいところだろう。
ましてやヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』が偽書であることが明らかになった現在においてや言わんや。
ところが、事実はまったく異なる様相を呈していたことがわかった。
1991年のソビエト連邦の崩壊は、それまで常識とされていたソ連の実情が明るみになった。
凶悪犯罪は、腐敗した資本主義社会にのみ発生するというソ連当局の主張も間違っていたことが実証された。
本編はクラシック音楽について語るブログなので、その件については詳細は省く。
ただ、ソ連崩壊に伴った情報公開(それ以前に、ゴルバチョフ書記長のグラスノチがあったが)によってショスタコ研究にも新しい光が当てられた。
エリアフ・インバル/東京都交響楽団によるCDの曲目解説によると、1980年半ばから現在(当時は2011年)における、第五番の主流解釈について長々と触れた後核心に入っている。
体制迎合でもなければ反体制にも非ず。ショスタコーヴィチの第五番は、政治的な意図で作曲されたものではないという主張だ。
むしろ極めてプライベートな曲であり、ショスタコーヴィチが作曲前に付き合っていた愛人への思慕から生まれたものだという。
詳しくは一柳冨美子(ひとつやなぎ・ふみこ)氏の解説を読んでいただきたいが、エレーナという女子大生への愛とその終焉を歌い上げたものだという。
特にエレーナと第五番の関連性を解読した、ロシアの研究家ベンディーツキイに至っては、
「交響曲第五番(原文では、第5番)はラヴ・ソングだ」
と言い切っているらしい。これは正に、コペルニクス的転回と言えよう。
第五番を当時の独裁者スターリンに屈したものと批判するにしろ、実はそう見せかけて反抗への思いを込めたものと評価するにせよ、この新説の前では様相が変わってくるのだ。
いずれにせよ、ショスタコーヴィチも大胆にして緻密な作品を公の場で公開したことになる。
もしも愛人に宛てた曲だと知られたら、投獄どころではすまなかったのは間違いない。
自らの不倫のさまを歌い上げた曲を、いかにも社会主義リアリズムに則ったかのように見せかけたところに、彼の剛胆さを感じ取るのは私だけだろうか。
考えようによっては、こちらのほうが遥かに"革命的"であるようにさえ思える。
なんにしても、この新解釈を得ても第五番に対する感動が変わらなければ、真のショスタコ・マニアと言えよう。
背景や解釈がどうであれ、ショスタコーヴィチの交響曲第五番が真の名曲であること、それだけは覆しようのない事実だ。
天国のショスタコーヴィチに乾杯!
※このブログは、毎月第2、第4土曜日に配信予定です。
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