哀しみの向こう側
専門学校時代の恩師のこの言葉がなかったら、私がブラームスに深入りするきっかけは遅くなったかもしれないしあるいは永久に来なかったかもしれない。
なにしろ当時の私といえば、宇野功芳の唱えるクラシック音楽観に洗脳されていた(ひどい言い方だ)。ブラームスは第1と第2しか聴いていなかった。
これは勉強不足。早速、聴かねば。と思ったが何を聴いてよいのかわからない。わからないまま、当時通い詰めていた最寄り駅から近い新宿区立図書館で借りたのが、
であった。愛好家からはコバケンの愛称で知られている指揮者のものである。よもやハズレはあるまいと期待はしながら。
期待は違わなかった。正に名曲である。なにしろ第一楽章の堂々たる終わりによって、思わずCDコンポの前で拍手している自分がいた。
そして全編どこを聴いても、"切れば血の出る"演奏が終わった時には一人で涙していた。これを演奏会で聴いたら、更に感動したか知れない。
クラシック音楽の醍醐味はまさしく、聴いてみるまでわからないこのドキドキ観にある。そういう意味では宇野功芳に感謝しつつも、彼の言葉だけに流されるまいとも思った。
ブラームスについては、朝比奈隆(1908〜2001)が含蓄の深い一言を述べられている。
「ブラームスの交響曲には男の哀愁が漂っている。いわば中年男の哀しみみたいなもので、まあ、女性には理解できないでしょうな」
私も中年というべき年となり、この言葉がなんとなく腑に落ちている。もっとも宇野功芳は、
「ブラームスはどうも苦手だ。彼の交響曲は、学者あたりが好むそうだ。ブラームス自身、
『私の演奏会に行く時には、(涙を拭く)ハンカチを用意してほしい』
と語っていたそうだ。なぜ演奏会に行くのに、ハンカチなんか必要なのだ」
と手厳しい。いやはや。
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