クラシック音楽あれこれ

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ワーグナー愛の詩:前編

リヒャルト・ワーグナーの生涯というのは、良く言えば破天荒悪く言えばデタラメ三昧といえた。

ベートーヴェンの第九に感銘を受けて作曲家への道を歩んだにも関わらず、革命運動に足を踏み入れ亡命生活を余儀なくされた。

また借金をしているにも関わらず、その借金取りの妻と肉体関係となり命を狙われた。

この時の金貸しがユダヤ人であったことから、終生ユダヤ人を憎んだという。言うなれば自業自得なのに、なんて男だという感じである。

こんな彼がハンスリックという、楽壇の大物評論家に睨まれたのもそのモラルのなさも原因していただろう。

いくつかのオペラを手掛けて、ブルックナーフーゴー・ヴォルフといった熱狂的な支持者を得た。

しかしハンスリックのほうは冷笑をもって迎え、あんなものは邪道だと糞味噌にけなした。

これが後の、ワーグナー派とブラームス派という音楽史上不毛な争いの元となる。

それはいい。

作曲家だけではまだ食えなかった頃、ワーグナーは指揮者としても活動していた。これがメンデルスゾーンと共に職業指揮者の始まりとなる。

彼に憧れて、弟子入りした男がいた。ハンス・フォン・ビューロー。後のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者となる男である。

ワーグナーにしてみれば渡りに船だった。作曲に専念するためには、ビューローの協力は是非とも必要だ。正に運命の出会いといえた。

しかし彼にとっての出会いは、別なところにあった。コジマ・フォン・ビューロー、彼女との出会いこそがワーグナーの人生を変えていった。

ビューローの妻であるコジマに、彼はたちまち魅了された。お互い結婚している身でありながら、二人は共に惹かれていった。

不倫の結果はたちまち形となって現れた。コジマがワーグナーの子を身ごもった。スキャンダルは瞬く間に拡がっていった。

※このブログは、毎月第2、第4土曜日に配信予定です。


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