ある思想家の嘆き
丸山眞男という政治学者がいた。良くも悪くも、戦後日本に多大な影響を与えた。
この丸山が、フルトヴェングラーの生涯を振り返る著作で対談をしていた。後のお二方については、名前も発言も失念してしまった。
ドイツが生んだ大指揮者について礼賛したのかもしれないが、忘れているということはありきたりな発言だったのかもしれない。
この対談で丸山は、フルトヴェングラーの業績を認めつつもナチスに協力したことに苦言を呈していた。
その攻め口が実にねちねちとした感じで、フルトヴェングラーを尊敬する一人として不快に思った記憶がある。
彼の名指揮者が、ナチスドイツの圧政の下進んで演奏会でタクトを振ったこと、それは紛れもない事実だ。
しかし、それは彼が自分と親交のあったユダヤ人の楽員や音楽家が国外に逃亡するのを助けたという複雑な事情があった。
フルトヴェングラーは、自らの経歴に傷がつくのを承知の上でヒトラーに屈服した。
その裏でナチスドイツの国是というべきユダヤ人迫害を、個人の許す限りで食い止めようとしていた。
政治音痴とも揶揄されるが、一人でも多くのユダヤ人を救おうとした点でフルトヴェングラーは人として誇り高い振る舞いをした。
丸山如きが、後世の後知恵であれこれ口出しすべきではない。
反面丸山は、大学時代の友人が後年オーストリア大使館で働くことになった話に触れている。
その彼は、大学時代ボートを漕ぎながら校歌を歌う程度の教養しか持ち合わせてないと、軽蔑気味に語っている。
その友人が、偶然ウィーン・フィルを振るフルトヴェングラーの演奏会に訪れ、思わず涙してしまったというのだ。
ここで丸山は嫉妬気味に語る。なんで、天は自分ではなくあの音楽音痴な奴にフルトヴェングラーを聴く機会を与えたのか、と。
答えは簡単である。人の生きざまを嫌味ったらしく語る御仁に、フルトヴェングラーを聴く資格などないのだ。その一言に尽きる。
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