「英雄」の証明
ベートーヴェンがまだ第九を作曲する前の話。ある時、人に、
「あなたの今まで作曲した交響曲の中で、最高傑作と呼べるものはなんですか?」
と、尋ねられた。
ベートーヴェンは迷うことなく、
「第三番『英雄』です」
と即答した。第五番だと答えると思ったその人は、
「第五番ではないのですか?」
繰り返し尋ねた。ベートーヴェンは更に自信満々に、
「いいえ、『英雄』です」
当たり前のことを聞くなと言わんばかりに答えた。
生前は決して評判の良くなかった第三番だが、彼にとってはまさしく「英雄」と呼んで差し支えない代物だったのだろう。
実際私など、学生時代は「英雄」を聴かなければ生きた心地がしないというほど、この交響曲に夢中になっていた時期があった。
数ある演奏の中でも、フルトヴェングラーがウィーン・フィルを振ったいわゆるウラニア版というものに耽溺した。
第一楽章の出だしからして素晴らしい。瑞々しく正に今、英雄が戦いに臨むような高揚感を醸し出していた。
思えばその前の第二番は、前向きに生きようとする決意表明のような曲だった。
とはいえ、果たして第二番から「英雄」へと進化することをどれだけの人が予想し得たろう。
その意味で、第二番から第三番への移行は奇跡に近い。ベートーヴェンが偉大だと思わされるのは、正にこの一点に尽きる。
もちろん当時彼が崇拝していた、フランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの影響もあっただろう。
それを単なる追従音楽ではなく、ナポレオンと同等のあるいはそれ以上の英雄的精神で臨んだからこそ、第三番は生み出し得たのではないか。
誰の言葉か失念したが、
「ナポレオンは死んだが、ベートーヴェンは生きている」
というのは、時代を超越した傑作を送り出したベートーヴェンへの最大の餞と言ってもいい。
「英雄」について語り出したら際限がない。それだけの魅力がある。
※このブログは、毎月第2、第4土曜日に配信予定です。
iPhoneから送信