「第九」蠢動
毎年年末になると、恒例の第九が全国津々浦々で演奏される。どうして第九こと、ベートーヴェンの交響曲第9番はここまで私たちを惹きつけるのだろう。
普段はお客が入らなくて懐事情が苦しい楽団側が、年末の掻き入れ時に始めたのが走りとも言われる。
ベートーヴェン自身は、
「私はお金のためには作曲しない」
などと公言していたが、この第九を初演した際あまりの赤字っぷりに卒倒してしまった。
当時の演奏技術、合唱技術では難しいという事情も重なってか、ベートーヴェン在世時には後にも先にもこれ一回きり。
復活させたのは、「ニーベルングの指環」四部作の楽劇などで名を残したリヒャルト・ワーグナー。
むしろ当時は作曲家としてより職業指揮者の元祖として売り出していたこの人は、第九を蘇演させて一躍脚光を浴びた。
彼にしてみれば、尊敬する楽聖に恩返しした気にもなっただろう。指揮者として弟子入りしたハンス・フォン・ビューロー(1830〜1894)に後事を託すと、大作曲家への道へ邁進していく。
ワーグナーまでは、作曲家と指揮者というのは切っても切れない、両立すべき間柄だった。が、ビューロー以後は職業としての指揮者が分離した。
もちろん彼が在世時にも、グスタフ・マーラー(1860〜1911)のように売れない作曲をしながら指揮者をやっていた者もいた。
そういった例外を除けば、職業指揮者が確立したことがそれまで死蔵されていった多くの名曲を蘇らせるきっかけにもなった。第九もしかり。
そして時代背景として、ドイツがやがて一つの国として統一されたことが人々のナショナリズムを高揚させた。
結果ドイツ音楽が見直され、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスをドイツ三大Bと提唱するようになった。
ベートーヴェンの交響曲特に第九が別格扱いされたのは、ちょうどこの頃であろう。ただし我が国でこれを聴くのは、20世紀前半まで待たなければいけない。
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