クラシック音楽あれこれ

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「幻想交響曲」の戦慄

フランスが産んだ大作曲家ルイ・エクトル・ベルリオーズ。彼の代表作といえば、言わずと知れた「幻想交響曲」である。1830年27歳の時のこと。

古典派の最後の巨匠であったベートーヴェンがウィーンで亡くなって、まだ僅か3年。翌年に弱冠31歳で亡くなったシューベルトが、いわゆるロマン派の走りとされている。

シューベルトが仮に長生きしていたら、彼はロマン派の大家として君臨していただろうと考えると惜しいの思いはする。

とはいえ、ベートーヴェンに瞠目し彼の衣鉢を継ごうと思った点でシューベルトベルリオーズは符号する。

その彼が、異国のベートーヴェンの思い出がまだ生々しい頃にこの巨匠から一歩踏み出した標題音楽を生み出したのは注目すべきだろう。

能書きはこれくらいにして。この交響曲の目新しさというのは、失恋という極めて個人的な体験を生に近い形で表現していることだ。

交響曲ベートーヴェン以降、宮廷の暇つぶしのためにではなく己の主義・主張を告白するようになったとはいえ、だ。ベルリオーズの手法はスキャンダラスといえる。

当時いくつもの小国で成り立っていたドイツ出身のベートーヴェンと、革命を経て良くも悪くも平等主義が蔓延したフランス出身のベルリオーズとの資質と環境の差が表れたのかどうか。

いずれにしろ、そういう時代背景を知らずにいてもスリリングな楽想にたちまち引き込まれてしまう。

初めてこれを聴いた時、妄想とはいえ失恋した女性を殺してしまうに至るベルリオーズの精神の飛躍に呑み込まれそうになった。

恋は人を詩人にすると言うが、失恋はある種の人に名曲を書かせるといえる。とはいえ、叶わぬ恋ならば殺してしまえというのは明らかに極論だ。

名曲とはいえ、どこかで距離を置きたいと思うのは自分の内にも潜んでいるかもしれないデモーニッシュな一面を覚醒したくないかもしれない。

若いうちに一度は聴いてもらいたい。

※このブログは、毎週土曜日配信予定です。

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