因果応報
もっとも被害を被ったのはブルックナーだった。彼は交響曲第3番をワーグナーに捧げたほどのワグネリアンであったことが、ハンスリックの癇に触ったと見える。
主に交響曲を作曲していたブルックナーは、新作を発表する度に冷笑でもって迎えられた。
彼の交響曲があまりに長大なのに加え、当時の演奏技術では不可能という烙印を押されることもしばしばだった。
たまにハンス・リヒターのような、巧みに指揮を振る指揮者がいたりすると、
「これでビールでも飲んでくれたまえ!」
無邪気に金貨を握らせたくらい喜んだ。リヒターは、この作曲家からの贈り物として記念に取っておいたという。
話が逸れた。それくらい当時保守的なウィーンでは彼の交響曲は演奏される機会を与えられなかった。たまに演奏会を開いても、ハンスリックが意地悪く新聞で酷評しまくった。
なかなか芽の出ないブルックナーは苛立った。あまりのしつこさに、
「陛下、どうかあなた様のお力でもってハンスリックの批評を止めていただけないでしょうか」
時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に拝謁する機会があった際、泣きついたほどである。よほど弱りきっていたのだろう。
敬虔なクリスチャンでなければ、ブルックナーは酷評を苦に自殺したのではないか。そう考えると、ハンスリックは罪なことをしたものだ。
しかし天はブルックナーを見捨てなかった。交響曲第7番でようやく認知された彼は、その後最高傑作と現在でも評価されている第8番が聴衆に好意的に受け取られた。努力は報われたのである。
この批評家が酷評したワーグナー、リスト、ブルックナー、チャイコフスキー、マーラーが現在ビッグネームとして度々演奏されていることは周知の事実だ。
今日ハンスリックの名は、反ワーグナー派の批評家として記憶される程度である。
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