クラシック音楽あれこれ

クラシック音楽のことをメインに語ります。

威風堂々と

かつて文芸評論家の小林秀雄(1902〜1983)は、モーツァルト交響曲第40番を聴いて「無常といふ事」という一文を書いた。

モーツァルトを聴いてそこに無常を見出すあたり、西欧文明に追いつけ、追い越せと息せき切って吸収した明治人らしい発想といえなくもない。

こういう点が、中村草田男の、

「降る雪や明治は遠くなりにけり」

という一句と相通じるのではないか。むろん小林自身は、そのようなレッテル貼りを嫌うだろうが。

私がモーツァルト交響曲を聴いたのは、明治どころか昭和も過ぎ去った平成に入った頃だっただろうか。

カール・ベーム/ベルリン・フィルによる、交響曲第40番・第41番「ジュピター」がモーツァルトの聴き始めだった。

これは当時読んでいた、かわぐちかいじの劇画『沈黙の艦隊』の影響がかなり濃い。この作品の中で''やまと"と名付けられた原子力潜水艦で独立宣言をした日本人たち。

彼らを率いる主人公の海江田艦長がクラシック音楽好きなのだが、無断で"やまと"を奪った彼らを抹殺しようとアメリカの原子力潜水艦などが襲い掛かる。

そのアメリカの艦隊との戦闘中に、モーツァルトを流しながら(それが「ジュピター」!)立ち向かい、相手側を翻弄して悠々と逃げおおせるさまが痛快に感じたものだった。

実際この劇画を読んだ後で「ジュピター」を聴くと、正にローマ神話最高神ジュピターを彷彿とさせるほど、威風堂々としており卑屈さの欠片も感じさせなかった。

ベームと親交のあった、作曲家兼指揮者のリヒャルト・シュトラウスはこう語った。

「『ジュピター』交響曲は、私がこれまで聴いたものの中で最高のものだ。終楽章のコーダを聴いた時、天上にあるかのような心地よさを覚えた」

私も「ジュピター」に、天上の世界を見た気がした。ただし、今まで聴いた交響曲の中で最高の部類に入るかは私の好みもあるので否としておこう。

※このブログは、毎週土曜日更新の予定です。

 

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