クラシック音楽あれこれ

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滝廉太郎の孤独

滝廉太郎(1879〜1903)がドイツ留学した際の孤独感というのは、今では想像のしようがあるまい。

単なるホームシックではない。自分が頑張らなければ、日本の音楽教育はそれだけ遅れるという気概との葛藤もあったはずだ。

滝一人に限ったことではない。有名どころでは夏目漱石、無名でも明治日本の留学生は、一人、一人国を背負っているという使命感があった。

滝は国内では、「花」、「荒城の月」といった名曲を次々と作曲した。これらの唱歌は現在でも歌い継ぐに値するもので、正に一級品といって差し支えない。

とはいえ、当時の我が国では優秀な人材は欧米へ留学しなければいけないという強迫観念に近い思いがあった。

欧米に追いつき追い越さなければ、他の東南アジア諸国のように欧米の植民地にされてしまうかもしれない。

この恐怖感が明治日本人を突き動かしていたことを頭に置かなければ、滝や当時の日本人留学生の使命感はわかりにくい。

ドイツへ留学した彼は、ただただ圧倒された。日本国内で行ってきた自分の作曲が児戯に思えたに違いない。

これからはドイツのクラシック音楽が世界の潮流になる。そう確信した滝は死にもの狂いで学んだ。

決してこれは彼一人に限ったことではない。自分が1日怠ければ、その分だけ国家の存亡に関わる。

そう信じてやまない日本人が多数を占めていた。その点では滝廉太郎という人物も、思いを共有していた。

その彼が孤独に苛まれたのは、間もなく肺結核に冒されてからだ。当時不治の病だっただけに、滝の絶望感は察して余りある。

結局志半ばで帰国せざるを得なかった。

彼がいかに無念であったか、亡くなる数ヶ月前の絶筆となった曲のタイトルが「憾(うら)み」となっているだけでも充分に想像できる。

結局、24歳の誕生日を迎える2ヶ月前に故郷大分県の自宅で息を引き取った。残念の一言である。

 

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